| 天の香具山 現在の表記は香久山です。香山・高山とも書かれてきたようです。 天降山・天指山。かご山。万葉集では「春香山」とも呼ばれています。
香久山だけが「天」の字を冠することからも、天から降ってきた山との伝承が、飛鳥時代には広く浸透していたのでしょう。聖なる山として特別な思いを持って接しられてきました。 万葉歌が多いのも、そのことと無関係ではないはずです。 「伊豫国風土記逸文」 『 伊与の郡、東北の方に天山あり、天山と名づくる由は倭に天加具山あり、天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端はこの土に天降りき。よりて天山と謂ふ。』 このように香久山は、三山の内でももっとも神秘的な要素を持っています。 古事記や日本書紀の高天原神話にも、香久山は登場します。 また香久山の東側は、大和政権とは深い係わりが伺える 磐余(いわれ)の地であることも見逃せません。 日本の神話が何時の時代に成立したかは、私のようなものには 重すぎる問題ですが、磐余・飛鳥・藤原と常に政治の中心地に近い香久山が、 神話の体系化に都合の良い場所にあったのは間違いない事だと思います。 国常立尊神社
「これは雨乞壺の由。ここへ水入れ減りたれば雨降り、減らざれば不降。 十度に九度は雨降と処の申。」 と記されています。 この山頂神社の字の名は、天指(あまのさし)と言います。 上の御前・下の御前 山頂から南の登山道を下ると、イザナギの命を祭る上の御前。さらに下るとイザナミの命を祭る下の御前があります。上の御前の石灯篭には、寛政十戌午年(17989)の銘があり、下の御前の石灯篭にも文化四卯(1807)12月の銘が見えます。 両社とも山頂、国常立尊神社の末社の扱いになっているようです。 月の誕生石
香久山案内所の香山さんが、まとめられた物語を紹介しましょう。 『 香久山の北の小山に、ひとかかえ程の丸みのある、とても綺麗な石があった。次第に大きくなり人肌のようなぬくもりをのこし、夕焼け空を染め上げたように輝いていました。 不思議な事に、お腹のあたりが今までになかった白い帯びのようなものが浮き出てきました。「石が赤ちゃんを生むのかもしれない。」「どんな赤ちゃんを生むのだろうか?」子供たちはすっかり心うきうき、赤ちゃん石が生まれるのを心待ちにしておったそうな。 それからも石は少しずつ大きくなり、お腹のあたりも、ぐっと突き出てきてなんだか苦しそうにさえ見えたそうな。それから1〜2日後の月の無い晩のこと、山のほうで赤ちゃんの泣くこえを聞いたような気がして、「赤ちゃんが生まれたんだ、石の赤ちゃんが!」 子供たちは皆そう叫んで外に飛び出したそうな。すると声がする山の空がパット明るくなり、そしてあの山の頂きから、真ん丸い月が顔を出した。 「石の赤ちゃんが生まれた、生まれたんだ・・・」と小躍りして喜んだそうだ。翌日、子供たちは山へ見に行くと、石はしぼんだ様に、お腹が小さくなり石の上に赤ちゃんの足跡が影の様に残っておったそうな。 』 おしまい。
|