三山


大和三山探険隊



香久山
橿原市南浦町・戒外町
海抜152.4メートル
山麓海抜75メートル
耳成山
橿原市木原町
海抜139.1メートル
山麓海抜60メートル>

畝傍山

橿原市大久保町・
大谷町・畝傍町
海抜198.1メートル
山麓海抜70メートル

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大和三山

「 三山、鎮(しずめ)をなす。」 大和三山に囲まれた地域に立ってみると、大変落ち着いた気持ちになれます。藤原京は、そのような土地に建てられました。(694年遷都)


大和三山は自然が創り出した偶然なのか、畝傍山を頂点にして、見事な二等辺三角形を形作っています。底辺、耳成山⇔香久山間は2.5キロメートル。側辺、畝傍山⇔耳成山そして畝傍山⇔香久山間は3.1キロメートル。見事な整合です。


三山に囲まれた地は、独立した一つの空間を作っているかのように思えます。三山への親しみ、畏敬の念を、そこに住む人に感じさせずにはいません。それ故に伝承が生まれ、神話が生み出され、万葉歌が育まれたのではないでしょうか。
 
三山探検隊では、それらに触れて行きたいと思います。

三山歌
 『 香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 
神代より かくにあるらし 古昔も  然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそうらしき 』   中大兄皇子(後の天智天皇)の万葉集歌(巻1−13)です。  
 
「・・ををし」を、「雄々し」とするか、「を愛し」と解釈するかによって、三山の性別が論じられてきました。中大兄皇子と弟大海人皇子(後の天武天皇)が、額田王をめぐっての三角関係を「嬬を あらそうらしき」と歌ったとするのが通説のようです。

耳成山には、縵児(かづらこ)伝説。畝傍山には、桜子伝説。というどちらも複数の男女がかかわる悲恋物語があります。また兵庫県にも同様の菟原処女(うないおとめ)伝説があります。

三山歌とこれらの伝説は、共通する一つのモデルを持ってるのではないでしょうか。

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あるいは視点を変えて。

「つま」には物の端という意味もあるようです。切妻造りなど側面を表しています。中大兄皇子は、直接関係のある人間関係を歌ったのではなく、二等辺三角形の側辺が 、畝傍山に集まっている。そういう自然の妙を面白く詠った歌なのかも知れません。
 

それはともかく、通説では香具山と耳成山が男。畝傍山が女になります。 いろんな組み合わせが考えられてきましたが、一つ面白いものがあります。



謡曲「三山」

『 謡曲 「 三山 」(みつやま)』です。少し紹介してみましょう。「久方の天の香具山いつしかに、語るも外ならずわが耳成や畝傍山・・」
 
謡曲三山では香具山が男性で、畝傍山、耳成山が女性です。香具山の膳夫公成(かしわでのきんなり)は、はじめ耳成山の桂子(かづらご)と、さらに 畝傍山の桜子のもとに通うが、次第に若い桜子に心を移します。それを悲しんだ桂子は 耳成の池に入水してしまいます。

時は経て、大和へやって来た僧が、大和三山を眺めていると、女がやってきたので、万葉の歌のいわれを尋ねます。女は三人の話をします。 僧はこの女が桂子の霊と知り、跡を弔っていると桜子と桂子の霊が現れ、桂子は桜子 への恨みを述べ、二人は木の枝で打ち合います。しかしやがて恨みも晴れたのか、夜明けと共に姿を消すのでした。
 
万葉の三山歌と耳成山の縵児(かづらこ)伝説、畝傍山の桜児伝説を上手く融合させています。

(それぞれの伝説については、その山の頁で触れたいと思います。)



三輪と二上 
 三山の地では、春秋の彼岸の頃、日は三輪山山頂から登り、二上山の雄岳・雌岳の鞍部へ沈みます。


どちらにも自然と手を合わせたくなるような、神秘的なものを感じます。 三輪山は古代から山そのものが、信仰の対象になってきました。また二上山の西側は、 河内飛鳥と呼ばれ聖徳太子をはじめ敏達・用命・推古・孝徳天皇の御陵があります。  

二上山は西方極楽浄土への門であったのかもしれません。当時浄土思想は無かったと思いますが、蘇我氏の所領地というだけの理由ではないものを感じてしまいます。




飛鳥三昧
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地図 香具山 耳成山 畝傍山