畝傍山


甘樫丘から畝傍山 高所池から畝傍山


                                               地図 

畝傍山

畝傍山は、畝火・雲根火・雲飛とも書かれます。
また、近世は畝傍山の名が失われていたようで、慈明寺山・もとどり山・御峰(むね)山などと呼ばれていたことがあります。


地質的には、南の方向から伸びてきている丘陵の北端部に、火山が噴出したもののようです。その後侵食され、今の山容となったと考えられています。

畝傍山は伝説の山香具山に比べ、より人間世界の歴史の舞台として登場します。畝傍山を中心とする建国神話のすべてが真実でないせよ、それが畝傍山を神聖視する要因になってきたことは間違いありません。

藤原京から畝傍山

登山口は東西2ヶ所あり。途中で出会っています。東からは、橿原神宮北門を出て100メートルほど行くと山の方(西)へ入って行く登山道があります。そこから200メートルで東大谷日女命神社の前に出てきます。登山道はそこから山の南と北に分かれて登って行くことになります。西からの登山口は、畝傍山口神社の鳥居の傍を通って行きます。東からの登山道と出会い、山の南西から山頂に向います。

畝傍山東登山道

橿原市史によると、「記紀編纂当時に存在した畝傍山と、現在の畝傍山が同じ山なのかどうか、一応疑ってみる必要がある。」としています。 (萩原広道「三山考」)

主な疑点は、現在の香久山にある「畝尾坐健土安神社」・「畝尾都多本神社」の読みに原因があるようです。「畝尾」を「うねお」と読むか「うねび」と読むかによって、混乱があったようです。(国史体系本 延喜式には、「うねび」と読まれています。)ここでは、紹介だけに止めたいと思います。

私は万葉集の藤原宮御井歌などによって、香久山も畝傍山もやはり現在の山を指しているように思います。
国見の丘から畝傍山
       藤原宮御井歌
「やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始め給ひて 埴安の 堤上に あり立たし 見し給へば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と しみさび立てり 畝火の この端山は 日の緯の 大御門に 端山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなべ 神さび立てり 名くはしき 吉野の山は 影面の 大御門ゆ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天のみかげ 天知るや 日のみかげの 水こそば 常にあらめ 御井の清水」(1−52)

日の緯(たて)は、直接に西を示す言葉ではありませんが、歌全体から考えてまず間違いのないところでしょう。


ネズミのフン

耳成山でも少し触れましたが、畝傍山にもネズミのフンと呼ばれる物があります。

大阪の住吉大社では毎年2回畝傍山に「埴」を取りに来る神事があります。神事に使う土器を作るため、畝傍山山頂で採取するのです。山頂には玉垣を巡らせた埴取の場所があります。

そこから一握り5・6粒のネズミの糞のようなものが、普通の土に混じって出てきます。これを儀式の作法どうりに取って持ち帰り、土に混ぜて神器とするそうです。
また畝傍山口神社は安産のお守りとして、授与していたようです。

山頂玉垣・埴土採取場所

この埴土の正体なのですが、橿原市史によれば「コフキコガネの糞」である。としています。しかし動物質の物ではないと反論する人もいます。「この埴土は、特定の樹の養分を集めて、土の中の精髄を丸めて団粒にしたもので、これを飲めば瀕死の病人もたちどころに生気を取り戻す」といわれていたとか。どうなのでしょうか。

埴土(ネズミのフン)採取場所

玉垣の傍に落ちていた「ネズミのフン」を見つけてきました。特に匂いはありません。硬いと言える手触りです。山頂他の部分では、見つけることは出来ませんでした。
ネズミのフン

この埴取り神事なのですが、上記山名の混乱から近世には香久山に埴を取りに向かった時期があったようです。香具山の埴土も呪力があるとされますから、この埴取り神事の真相・起源は良く解らないというほかありません。



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